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2008年04月22日

「高学歴ワーキングプア」水月昭道

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)水月 昭道

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 ここで言う「高学歴」とは「博士号ホルダー」の意。その「高学歴」な人々の半数近くが就職できない、という問題の「本質をひもと」(21頁)く書。
 大学や大学院と無縁な人が読むと色々と考えさせられるようだ。一方、ほんのちょっとでもその道を知っている者からすると、あまりにもバイアスかかりまくりな内容で、客観的な視点で書かれたものとは思えず、まともに取り合う気にならないなれない。なれないんだが、なるべく真面目に批判してみる。

 まず、

 彼らフリーター博士や無職博士たちは、個人の努力が足りずにそうなったわけではなく、博士が政策的に大量生産された結果、教員市場が完全崩壊をきたしたことで生みだされてしまった。(168頁)

 とあるように、「半数近くが就職できない」のは、決して就職できないもの達の自己責任ではなくて政策的によって作られた構造に原因がある、というのが本書における作者の主張の1つである。
 この主張自体は間違ってはないのだろうが、本書で取り上げられている「フリーター博士」「無職博士」の原因が「政策的構造」によるものとはあまり思えない。

 第3章で触れられている「清水さん」の場合。博士号を持っている彼女は、学術雑誌に投稿した自分の論文が、博士号を持っていない(かもしれない)査読者によって却下されたことに腹を立てて大学を去ったという。「博士課程満期6年かけても取得困難な文学博士を4年半で取得した」ということで「才女」と見做されている清水さんだが、そんな「才女」だって、却下されるような論文を書くことだってままあるだろう、というのが疑問その1。それから、掲載に値する論文であっても、なんらかの巡りあわせの悪さで却下されることもしばしばある(本書によると「まれ」だそうだが)ことなので、それくらいのことで腹を立てて大学を去るというのはあまりにも短絡的、というのが疑問その2。大抵の研究者は、査読者の誤読や無理解といった理不尽な理由による却下の経験が少なからずある筈で、それに負けじと再投稿するのがプロってものだ。もし、再投稿出来る雑誌がない、ということであったとすれば、それは清水さんの研究分野の構造的欠陥で、政策的問題とは別の話である。とにかく、この清水さんには根本的にプロの研究者になる資質が欠けていただけのこと、としか私には思えない。
 第1章に登場する「岡崎さん」の場合。地方私立大学、即ち「弱小」「三流」(と本書で記されている)大学の修士課程を出た彼は、イギリスに留学して博士号を取得。帰国して母校で働くことを望んでいたが、相手にされなかった。理由の一つは、その母校は某旧帝大出身者に牛耳られており、当然ながら新しく採用される教員はその旧帝大出身者ばかりであるため、だそうな。ここで、疑問。「その大学出身である岡崎さんを優遇的に向かい入れる」ということと「某旧帝大出身者を優遇的に向かい入れる」ということにどういう違いが? 「人事の公平性」つまり教員希望者を公平に審査する(出身大学で差別しない)ことを(少なくとも表面上は)要求している文科省の立場からすれば、どっちもあまり許されることではなかろう。後者はダメだけど前者だったらOK、という本書の立場には、私は全く共感出来ないし、前者が「政策的構造」への解決であるとも全く思えない。大体、一般的に弱小大学出身者よりは旧帝大出身者の方が、平均的には能力が高いだろうと思うのが普通で、だとすれば、「無差別に某旧帝大者を採用する」というスタンスの方が「無差別にその弱小大学出身者を採用する」よりはまだマシだろう、という風に感ずる(まあ、どちらも五十歩百歩であるが)。大体、今時「外国で博士号を取得」なんてそう珍しいことではなく、この程度のことで「故郷に錦を飾る思い」(44頁)で母校に博士号取得の報告に行く、というセンスがあまりにもイタイし、この程度のことで某旧帝大出身者を蹴落として職が得られるのが当然、という思い込みも安易に過ぎる。政策的構造云々の問題と無関係に、この岡崎さん、人としてどうなんだろうか、と思った。

 こんな風に、何でもかんでも「政策」のせいにしてしまう牽強付会っぷりが絶妙。
 さらに、誘導的な誇張の使い方も実にお見事。

 21頁では「就職者57%」と書かれているのが、いつの間にか「失業率50%」(64頁、95頁)と、都合よく数字を丸めてしまう(「約50%」とは書かれていないことに注意されたい)。そもそもこの「57%」は正規雇用者に限った数字で、いわゆるポスドクを含めて考えた場合の「失業率」は相当低い数字となる。にも関わらず「日本の失業率が50%になった状況を想像してほしい。ちなみに平成十八年(二〇〇六年)度の完全失業率は四・一%である」(64頁)と畳みかけるナンセンスさ。
 「博士生産には多額の税金が投入され」「ポスドク1人を育てるのに1億円もの税金を使っている」(96頁)そうだが、それは東大で学部・修士課程・博士課程の計9年間を過ごした場合の話。本書で問題になっている「ワーキングプア」は、いわゆる二流大学で9年間の全てとは言わないまでも一部を過ごした方々が主なので、「1億円」という数字を持ち出すのは、ある種の詐術に近い(それ以前に「330万円×9年間」が「1億円」になるという計算もさっぱり分からないが)。
 大学の正規教員、すなわち「専任」は「授業準備に使用する資料や書籍代は、大学の経費ですべて賄われ」(109頁)「学会への参加費や旅費、発表にかかる経費などは、すべて大学から支給されている」(110頁)とあるが、これは大ウソ。ある程度の支給があるのは事実だけど、上限があるので、それを超えると(大抵の場合、あっさりと超える)助成金など外部から持ってきた資金を使うなり、自腹を切るなりすることになるのが普通。
 実は書き出しからして、かなりすごい。

 ”〇.〇二四%”。これは、平成十六年(二〇〇四年)九月時点の日本における”自殺者”の割合だ(WHO発表)。
 ”一一.四五%”。これは、同じ年に文科省(文部科学省)から発表された、日本の大学院博士課程修了者の”死亡・不詳の者”の割合である。
 一〇万人あたりの数値に直すと、前者は二四名。後者は一万一四五〇名。
 

 へー、ふーん。「死亡・不詳」が即、「自殺」を意味するわけではないので以下略。

 こんな稚拙な内容であっても、センセーショナルなタイトル付けて、お手頃な新書で売れば、ちょっとしたベストセラー(奥付によると、出版後2ヶ月半ほどで既に7刷。多分、現在は更に刷を重ねていると思われる)。この戦略の巧みさには、心底脱帽する。店頭で手に取る「高学歴ワーキングプア」の方々は多数いると思われるが、うっかり購入して無駄金を費やしてしまうことがないことを切に願う。

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posted by omsoc at 00:14| Comment(0) | TrackBack(2) | 本(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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